tel:096-331-3737 住所:861-8043 熊本市戸島西2丁目3-10
お問い合わせ資料請求サイトマップ

仁誠会トップページ仁誠会クリニック大津 > 仁誠会クリニック大津 新着情報
私の透析生活20年 2008年12月20日
※2008年3月29日に更新された記事です

44才の誕生日の2日後に透析が始まりました。そして20年という長き生命を透析医療によって与えていただきました。当時、私は「明日」という日を待てぬと言うくらい、暗く、不安の中にいました。なぜなら、病いはいつもいつも死へ近づく病状でした。いよいよ頭の中がグチヤ々になり、私はどうなっているのか、ボーッと虚ろな眠りの中にいる時、遠くで「今日から、透析にはいりますよー。いいですねー。」と声が聞こえ、私は「はーい」と答えました。
 
でも、この先私はどうなるのだろう、1日おきの透析を忘れやしないか、長い間にヤケをおこすのではないか、他の病院はどうなるの?・・・次々と新たな不安が湧くのでした。
 
しかし、透析を重ねる毎に、体調は上向きになり、案外自由な身体を感じはじめます。「貴女は、週3回排尿の為だけに病院へ来るのです。病人ではありません」と田尻宗誠先生に言われ、「そうなんだ!私は普通に生きれるのだ!」単純に、素直に、すんなり透析医療を受け入れられました。
 
p7.jpg 勇気が湧いてきて、根っから遊び好きな私は、まず旅行を体験します。1泊、次は2泊3日、次はもっともっとという具合に、病み付きになってしまいました。また、運動に水泳を、手根菅症を防ぐためにピアノをと、夢中にやっている内に、20年の歳月はアッという間に過ぎました。その間幸いなことに大病もなく、ここまで来ることが出来ましょたが、それは一重に先生方をはじめスタッフの、誠心誠意の見守りがあったからこそです。
 
透析をうけるようになっていつも思うことがあります。それは、日本が平和であり、安定しているからこそで、医療界のめざましい発展があればこそです。多くの皆様に助けられて、ここまで生きてこれました。日々感謝です。
 
20年の長き透析生活は、私の性格をも除々に変えてくれました。せっかちなところはのんびりと、激しいところは穏やかに、心に重荷を感じても「まーいいか、透析が終わってから考えよう」と、間を置くことも覚えました。これは家族にとっては不平ですが、我、感せずです。
 
この先、神のみぞ知るところですが、今までのようにマイペースで歩むだけでしょう。
 
ただひとつ、私は小さな挑戦を持っています。それは60歳後半、70歳と今までは手根菅症を防ぐ為と思って来ましたが、これからはボケ防止に?、自分を楽しむ為にピアノを弾き続けることです。老婆がピアノに向かい、ゆっくりポロン、ポロンと音を出している姿は、なんと素敵だろうと思うのです。壊れたレコードのように、繰返し繰返し好きな曲を弾く。そんな老いた自分を描き、フフフ・ ・ ・ サアーレッスン!レッスン!  (透析患者:S・T様)