44才の誕生日の2日後に透析が始まりました。そして20年という長き生命を透析医療によって与えていただきました。当時、私は「明日」という日を待てぬと言うくらい、暗く、不安の中にいました。なぜなら、病いはいつもいつも死へ近づく病状でした。いよいよ頭の中がグチヤ々になり、私はどうなっているのか、ボーッと虚ろな眠りの中にいる時、遠くで「今日から、透析にはいりますよー。いいですねー。」と声が聞こえ、私は「はーい」と答えました。
でも、この先私はどうなるのだろう、1日おきの透析を忘れやしないか、長い間にヤケをおこすのではないか、他の病院はどうなるの?・・・次々と新たな不安が湧くのでした。
しかし、透析を重ねる毎に、体調は上向きになり、案外自由な身体を感じはじめます。「貴女は、週3回排尿の為だけに病院へ来るのです。病人ではありません」と田尻宗誠先生に言われ、「そうなんだ!私は普通に生きれるのだ!」単純に、素直に、すんなり透析医療を受け入れられました。
この先、神のみぞ知るところですが、今までのようにマイペースで歩むだけでしょう。
ただひとつ、私は小さな挑戦を持っています。それは60歳後半、70歳と今までは手根菅症を防ぐ為と思って来ましたが、これからはボケ防止に?、自分を楽しむ為にピアノを弾き続けることです。老婆がピアノに向かい、ゆっくりポロン、ポロンと音を出している姿は、なんと素敵だろうと思うのです。壊れたレコードのように、繰返し繰返し好きな曲を弾く。そんな老いた自分を描き、フフフ・ ・ ・ サアーレッスン!レッスン!
(透析患者:S・T様)
でも、この先私はどうなるのだろう、1日おきの透析を忘れやしないか、長い間にヤケをおこすのではないか、他の病院はどうなるの?・・・次々と新たな不安が湧くのでした。
しかし、透析を重ねる毎に、体調は上向きになり、案外自由な身体を感じはじめます。「貴女は、週3回排尿の為だけに病院へ来るのです。病人ではありません」と田尻宗誠先生に言われ、「そうなんだ!私は普通に生きれるのだ!」単純に、素直に、すんなり透析医療を受け入れられました。
この先、神のみぞ知るところですが、今までのようにマイペースで歩むだけでしょう。
ただひとつ、私は小さな挑戦を持っています。それは60歳後半、70歳と今までは手根菅症を防ぐ為と思って来ましたが、これからはボケ防止に?、自分を楽しむ為にピアノを弾き続けることです。老婆がピアノに向かい、ゆっくりポロン、ポロンと音を出している姿は、なんと素敵だろうと思うのです。壊れたレコードのように、繰返し繰返し好きな曲を弾く。そんな老いた自分を描き、フフフ・ ・ ・ サアーレッスン!レッスン!
(透析患者:S・T様)





