2009年5月アーカイブ

saneda.JPGのサムネール画像透析導入したのは、14歳(中学2年)の時でした。
当時は透析の意味も理解できぬまま、6時間透析したのを覚えています。
針を刺す痛みや透析の苦痛はあったと思いますが、先生の言われるままに治療してきました。

25歳(透析11年目)の時に父親の腎臓を移植し3年8ヶ月、透析を離れた期間がありました。

貧血が改善したのは良かったのですが、すぐにシャントが詰まったのには驚きました。最初は調子が良かった腎臓もだんだんと血液検査の結果が悪化し、精神的にも疲れ、入退院を繰り返す状況となりました。
28歳で2回目の透析を導入しました。当時は透析後の体重が予定より500〜600g残ったり、引きすぎたりしていましたので、自分の手のむくみの具合を基準にして体重を調整していました。現在は機械の性能も良くなり、そのような事もなくなりました。

43歳で結婚しましたが、周囲の理解があったことは大変、幸せな事だと感じています。今後の目標は、合併症の事は大変気になるところではありますが、60歳までは、なるべく現状を維持していきたいと思っています。

食事などの管理は人まかせにせず自分で管理する
(市販の弁当は塩分の表示を確認する。漬物、梅干は食べない。薄味にする。など)
精神的にはあまりくよくよ考え込まない。
自分の好きな運動をする。
このような事を気をつけてやってきました。

24歳ではじめたボーリングも楽しんでいます。こちらの目標は投げれるうちにパーフェクトを達成したいと思っています。皆様も楽しい透析ライフを送られると良いなと思っています。
 
                                                                          熊本第一クリニック  實田 博文さん

透析20年を迎えて

2009年05月16日
sakanashi.JPG振り返ってみれば、長くもあり短くもあったいつの間にか過ぎた20年でしたが、大きなトラブルもなくよくも続いたものだと思います。

検査・入院・シャントの手術とあれよあれよという間の出来事で透析について、見た事や聞いた事もなく何もわからず知識や情報もありませんでした。毎回、痛い穿刺を一生続けていくのかと思うと暗い気持ちで一杯でした。
 
スタッフの皆さんが透析治療の説明や食事、栄養について指導する時間の余裕があり、私もゆっくり勉強できて理解する事ができました。

3年、5年と生存率が短くて厳しく皆が一日でも長く生きる事に一生懸命でした。
長年透析を行っている人達が、昔は機械が少なかったので誰でも自由に透析を受けられる訳ではなかった。

透析中に何人も死んでいった、医療費が高くて透析をやめた人もいた、といった話など苦しい時代を乗り越えてきた人の言葉には重みがあり、素直に聞く事ができました。

私が透析患者になったという事は、私の家族・子供・孫が透析を受けるようになる可能性が高いので、もし透析を受けるようになった時、昔みたいに苦労して透析を受けなくて良いように活動を続けて行きたいと思います。

最後になりましたが、下村先生をはじめスタッフの皆さんに色々とお世話になり、お礼申し上げます。今後ともよろしくお願い致します。

                                                                             大津第一クリニック   坂梨 安徳さん
dokudami.jpg   私は平成20年9月16日で透析歴20年を迎えることが出来ました。
先日、田尻先生より表彰していただきまして本当にありがとうございました。

私の透析導入日は昭和63年9月16日です。熊本大学附属病院で、腎臓病(ネフローゼ)と診断され、治療の為、入退院を何度も繰り返しました。発病して、6年後にシャントの手術を受けて、透析導入となりました。

 当時、熊大病院では透析室はなく、仮の部屋に機械が2台ほど設置されており、透析を受ける患者は私1人で静かな初日でした。
 
暫くして、通院しながら透析を受ける病院を探すことになりました。
自宅付近には透析専門の病院が無く、当時黒髪内科の田尻院長先生の下でお世話になることになりました。

すぐに熊大病院を退院し、黒髪内科へ初めて通院しましたのが、昭和63年10月10日でした。朝、ロビーには沢山の透析患者さんがおられて、とても元気そうで、明るい雰囲気でした。
透析は週3回で、1回が5時間の透析でした。透析室内はとても和やかな雰囲気で、スタッフや患者さんのなかにすぐにとけ込むことができました。

当時は貧血がひどく、数値が15位で輸血を3回ほど受けたと思います。現在は、エポジン(貧血の薬)があり、貧血の患者さんにとってはとても心強い事です。
又、血圧も安定せず、透析を受けて帰宅途中、バス停やバスの車内で血圧が下がり、具合が悪くなったことが何度もありました。
腹膜透析や腎移植を真剣に考えた時期もありましたが、家族と相談して血液透析を続けることにしました。

その後、平成6年1月に、大津第一クリニックが開院されるまでは黒髪内科に通院するのがとても大変でしたけど、負担が軽くなり、とてもありがたく家族みんなで感謝しております。
大津第一クリニック開院当時、私の透析は月・水・金のサイクルで行われ、一緒の患者さんは5〜6人ぐらいで、下村先生をはじめスタッフが10人くらいおられたと思います。

現在では、患者さんの数も増えて、更衣室やベッドで色々な世間話をするのも楽しみのひとつです。又、健康面では大きな問題もなく、シャントのトラブルもありません。
諸先生がた並びにスタッフのみなさん、及び家族の協力があって、現在まで元気でいることに感謝しております。
これからも自己管理に注意しながら、日常生活を頑張り続けたいと思います。

                                                                               大津第一クリニック  志賀 豊子さん

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