◆仁誠会のホームページ「患者の声」で
 
     昨年、6月に仁誠会のホームページで「透析患者の人工関節手術」についての情報
 を得てメールさせて頂きました、山梨県の荻原かおりと申します。
  私は今までいくつもの大学病院に断られてきましたが、佐賀大学附属病院にて、昨年
 10月、12月に両股関節、今年3月に膝の人工関節の手術を受け、リハビリをし、
 7ヶ月半ぶりに山梨県に戻ってきました。
  手術も成功し今までの痛みが、嘘のように楽になり、歩ける事の喜びを感じております。
    坂口様の記事に勇気を頂き、チャレンジ出来、今があります。
  その節は、突然の質問にご親切に対応して頂き本当にありがとうございました。
  私も今年で透析30年になりましたが、前向きに頑張りたいと思います。
  お心使い、心より感謝申し上げます。
 元気になられた方から嬉しいメールが届きました。

                    
 
 








HPsakaguchi.JPGのサムネール画像◆平成20年7月開催された患者勉強会。
 中央病院の阿部先生による
 「膝と股関節の治療」の講演をしていただきました。
  参加された坂口静さん(当時ながみねクリニック患者さん)
 の感想を、仁誠会のホームページ
 「患者さんの声」に掲載致しました。
 坂口さんの感想は以下のようなものでした。
 
『・・・・(中略)・・・・
仁誠会の勉強会で「膝と股関節の治療について」という大切な話を聞きました。
私の希望は、本当に切実に困っている透析患者様の方に是非聞いて欲しいと思っておりました。 講師の先生は、熊本中央病院整形外科医長の阿部靖之先生です。
実は、私は阿部先生の整形外科の患者です。約5年前股関節変形症の手術をしていただきました。現在、障害のない自由な生活を送っています。手術前と手術後を比べると、別世界で新しい生活が出来ている事を幸せに思っております。
 手術前は、足の痛みと戦いながら、階段をトントンと上がっていく人をとてもうらやましく思ったり、横断歩道の信号が短いのを腹立たしく思い、警察に「信号機の時間を、もっと長く出来ないのか?」等、文句の電話をしたりしていた頃を、今はとても懐かしく思い出しております。
膝も変わりません。身体に障害を持ち不自由な生活を送ることは大変な事です。
 阿部先生のお話の様に、早いうちの治療なら、薬や訓練で治るそうです。
一日も早く通常の生活を送れるよう、身近な方々の話に耳をかしてほしいと思っていす。・・・・』

◆以上のような内容の仁誠会「患者様の声」のページを、平成21年6月に山梨県の荻原さん
   がご覧になりました。さっそく仁誠会に荻原さんから下記のメールが届きました。
    透析歴30年になります。
  骨の痛みはかなり以前からありましたが、昨年よりひどい股関節痛に悩まされています。
  家の中では何とか杖をついて歩く状態で外はほとんど歩けません。整形の医師はこの
  まま手術せず車椅子での生活の方が安全だと申します。
    インターネットで坂口静さんの記事を拝見し大変心強く思いました。それで2カ所程
  大学病院などを受診しましたが、感染症が怖い、透析施設の空きがないなど敬遠されて
  しまいました。どのような基準で病院を決めたよいのか大変悩んでおります。
  何かアドバイスがありましたら、お教え頂きたいと思いメールさせて頂 きました。
  お忙しい中すみません。どうぞよろしくお願い致します。











萩原さんの問い合わせに、先生方の意見なども伺いながら、ご返事させていただきました
が、1年後に、こんなに嬉しいお知らせをいただき、このつながりに心を動かされました。
坂口さんも、涙して喜ばれたそうです。
仁誠会のホームページがこのようにお役に立てて、本当に嬉しいですね。











 
仁誠会の患者さんの活動のひとつに、日帰り旅行があります。 
大津第一クリニックとながみねクリニックの患者さんの会「大津ひまわり腎友会」の皆さんと、ご家族、そしてスタッフの、日帰り旅行が行われました。
お世話をしてくださった患者さんと、初めて参加したスタッフの感想をご紹介します。
 
総勢86名、貸切バス2台で出発!
 
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 4月18日、日曜日、普段何かと気候の変化があり心配しておりましたが、この日は何と日本晴れの一日でした。
昨年の秋に予定しておりました旅行は、新型インフルエンザの流行で用心の為に延期になり、皆様には大変お待たせしましたが、やっと実現出来ました。
 今回の目玉は「天草クルージング」です。初めてクルージングをすると言う方も大勢でした。
45分間のこの優雅なクルージングはとても楽しいものでした。
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 天草松島は、日本三松島のひとつです。無数の島々と青い海、そして五橋が魅せる絶景、
潮風感じながら船上に立ち、まるで海上散歩の様でした。
この体験が日頃の疲れを忘れさせてくれる、癒し効果抜群の旅でした。
また機会があれば、イルカクルージングもしたいな・・・・
 来年も、皆さんが参加できるよう楽しい旅行を計画したいと思っています。

                              ◆大津ひまわり腎友会  副会長 坂口 静 
                             
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          初参加 患者さんのパワーに圧倒!   
 私は初めての参加で、とても楽しみにしていました。
天草五橋を巡るクルージングは少し肌寒かったのですが、天気がよく気持ちよかったです。    ちょっと操縦桿を触ってしまい、船頭さんに怒られる場面もありましたが楽しい時間でした。
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お昼ごはんも
新鮮な刺身や
タコの煮物など、
海の幸を堪能でき、
満足でした。
 
 楽しく過ごすことができ、何より患者さんたちのパワーに圧倒された1日でした。
温泉も気持ちがよくて、すごく楽しかったです ♪ ♪ ♪                                      
                                          ◆堤 美紗子(事務科)
 
10月18日の赤とんぼ祭りの展示企画に、今回初めて「クリニック文化祭」として患者さんの作品展示を進めていきました。残念なことに赤とんぼ祭りは新型インフルエンザの拡大防止に配慮して中止となりましたが、赤とんぼの利用者さんや、各クリニックから寄せられた患者さん・スタッフの作品は、みなさんにご披露したく展示させていただきました。
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「クリニック文化祭」の展示は、赤とんぼをスタートにながみねクリニック、新屋敷クリニック、仁誠会クリニック光の森、大津第一クリニックと全施設に展示され、日頃透析室でしか知り得ない患者さんやスタッフの意外な一場面がうかがわれ、その見事な作品にとても感動しました。
 展示をご覧になった患者さんからも、
   「すごい!感動!」、「あの患者さんがね!?上手ねぇ」、
  「素晴らしい絵!買いたいくらい!」
   「透析室での姿しか知らないから、あの職員にこんな才能があるとは知らなかった」などの感想や、また作品を提供された患者さんからは、
  「こんなに立派に飾って頂いて、何だか恥ずかしい」
  「来年も出したい」「もうちょっと展示期間を長くしてほしい」とのご意見も頂きました。

初めての企画でしたが思った以上に反響があり、今回の反省点をふまえ次回に是非活かしていきたいと思います。
ご協力いただいた患者さん、スタッフの方々ありがとうございました。
                                                          ながみねクリニック 担当:前田看護師・坂井技士
今回の仁誠会勉強会は、鶴見大学歯学部口腔病理講座の武田全代先生をお招きして口腔ケアに関して御講話いただきました。
6月13日(土)は職員対象で『嚥下と声』?咀嚼機能が円滑に働いてこそ声が出る?、
14日(日)は患者さんとご家族対象で『透析患者さんの為のお口の働きを考える』のテーマでパレア会館で行われました。
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口腔機能は私たちにとって生活する中で食べる・噛む・飲むといったような最も基本的な機能ですが、噛み合わせの不良、姿勢、口腔周囲の筋力低下などにより呼吸、発声のみならず唾液分泌低下などさまざまな症状を引き起こすことをわかりやすく講義されました。
また、口腔機能療法を実践的に紹介され大変意義のあるものでした。

口腔機能が全身に及ぼす影響は重要であり、私たちはこれからずっと自分の歯で物を食べることができるようまた、正しい発声と歌が歌えるよう口腔機能トレーニングを行い口腔の健康さらに全身の健康を維持しなければならないと再認識いたしました。

最後に「声は全身力」声は口の機能のみではなく全身の機能、すなわち全身力であるという言葉が大変印象的でした。
                                ながみねクリニック 技士科 竹盛賢二

saneda.JPGのサムネール画像透析導入したのは、14歳(中学2年)の時でした。
当時は透析の意味も理解できぬまま、6時間透析したのを覚えています。
針を刺す痛みや透析の苦痛はあったと思いますが、先生の言われるままに治療してきました。

25歳(透析11年目)の時に父親の腎臓を移植し3年8ヶ月、透析を離れた期間がありました。

貧血が改善したのは良かったのですが、すぐにシャントが詰まったのには驚きました。最初は調子が良かった腎臓もだんだんと血液検査の結果が悪化し、精神的にも疲れ、入退院を繰り返す状況となりました。
28歳で2回目の透析を導入しました。当時は透析後の体重が予定より500〜600g残ったり、引きすぎたりしていましたので、自分の手のむくみの具合を基準にして体重を調整していました。現在は機械の性能も良くなり、そのような事もなくなりました。

43歳で結婚しましたが、周囲の理解があったことは大変、幸せな事だと感じています。今後の目標は、合併症の事は大変気になるところではありますが、60歳までは、なるべく現状を維持していきたいと思っています。

食事などの管理は人まかせにせず自分で管理する
(市販の弁当は塩分の表示を確認する。漬物、梅干は食べない。薄味にする。など)
精神的にはあまりくよくよ考え込まない。
自分の好きな運動をする。
このような事を気をつけてやってきました。

24歳ではじめたボーリングも楽しんでいます。こちらの目標は投げれるうちにパーフェクトを達成したいと思っています。皆様も楽しい透析ライフを送られると良いなと思っています。
 
                                                                          熊本第一クリニック  實田 博文さん

透析20年を迎えて

2009年05月16日
sakanashi.JPG振り返ってみれば、長くもあり短くもあったいつの間にか過ぎた20年でしたが、大きなトラブルもなくよくも続いたものだと思います。

検査・入院・シャントの手術とあれよあれよという間の出来事で透析について、見た事や聞いた事もなく何もわからず知識や情報もありませんでした。毎回、痛い穿刺を一生続けていくのかと思うと暗い気持ちで一杯でした。
 
スタッフの皆さんが透析治療の説明や食事、栄養について指導する時間の余裕があり、私もゆっくり勉強できて理解する事ができました。

3年、5年と生存率が短くて厳しく皆が一日でも長く生きる事に一生懸命でした。
長年透析を行っている人達が、昔は機械が少なかったので誰でも自由に透析を受けられる訳ではなかった。

透析中に何人も死んでいった、医療費が高くて透析をやめた人もいた、といった話など苦しい時代を乗り越えてきた人の言葉には重みがあり、素直に聞く事ができました。

私が透析患者になったという事は、私の家族・子供・孫が透析を受けるようになる可能性が高いので、もし透析を受けるようになった時、昔みたいに苦労して透析を受けなくて良いように活動を続けて行きたいと思います。

最後になりましたが、下村先生をはじめスタッフの皆さんに色々とお世話になり、お礼申し上げます。今後ともよろしくお願い致します。

                                                                             大津第一クリニック   坂梨 安徳さん
dokudami.jpg   私は平成20年9月16日で透析歴20年を迎えることが出来ました。
先日、田尻先生より表彰していただきまして本当にありがとうございました。

私の透析導入日は昭和63年9月16日です。熊本大学附属病院で、腎臓病(ネフローゼ)と診断され、治療の為、入退院を何度も繰り返しました。発病して、6年後にシャントの手術を受けて、透析導入となりました。

 当時、熊大病院では透析室はなく、仮の部屋に機械が2台ほど設置されており、透析を受ける患者は私1人で静かな初日でした。
 
暫くして、通院しながら透析を受ける病院を探すことになりました。
自宅付近には透析専門の病院が無く、当時黒髪内科の田尻院長先生の下でお世話になることになりました。

すぐに熊大病院を退院し、黒髪内科へ初めて通院しましたのが、昭和63年10月10日でした。朝、ロビーには沢山の透析患者さんがおられて、とても元気そうで、明るい雰囲気でした。
透析は週3回で、1回が5時間の透析でした。透析室内はとても和やかな雰囲気で、スタッフや患者さんのなかにすぐにとけ込むことができました。

当時は貧血がひどく、数値が15位で輸血を3回ほど受けたと思います。現在は、エポジン(貧血の薬)があり、貧血の患者さんにとってはとても心強い事です。
又、血圧も安定せず、透析を受けて帰宅途中、バス停やバスの車内で血圧が下がり、具合が悪くなったことが何度もありました。
腹膜透析や腎移植を真剣に考えた時期もありましたが、家族と相談して血液透析を続けることにしました。

その後、平成6年1月に、大津第一クリニックが開院されるまでは黒髪内科に通院するのがとても大変でしたけど、負担が軽くなり、とてもありがたく家族みんなで感謝しております。
大津第一クリニック開院当時、私の透析は月・水・金のサイクルで行われ、一緒の患者さんは5〜6人ぐらいで、下村先生をはじめスタッフが10人くらいおられたと思います。

現在では、患者さんの数も増えて、更衣室やベッドで色々な世間話をするのも楽しみのひとつです。又、健康面では大きな問題もなく、シャントのトラブルもありません。
諸先生がた並びにスタッフのみなさん、及び家族の協力があって、現在まで元気でいることに感謝しております。
これからも自己管理に注意しながら、日常生活を頑張り続けたいと思います。

                                                                               大津第一クリニック  志賀 豊子さん
≪新屋敷クリニック  長谷川 法道様(60歳)≫


 
 こんなやり取りやスタッフの動き、他に患者の様子など観察しながら過ごしていると、10時過ぎごろ先生の回診がありました。50代の先生に若い先生が二人と看護
師さんが二人付き、物々しい雰囲気で患者人一人ひとり丁寧に診察していきました。
私には臨時透析なので軽く挨拶する程度ですぐに去っていきました。

 
  toseki04.jpg
 
 シンガポールは2月でも外は30度近くまで温度が上がるので、部屋には冷房が不可欠ですが、日本人には温度の下げすぎと思うほど強く冷房をセットしてあります。初めはそうでもないのですが、5時間ベッドに横になっているとだんだん寒くなり、毛布をかけてもらいましたがまだ寒い状態で大変でした。何とか5時間を過ごし昼過ぎに無事透析が終わりました。


 
 日本と同じように5時間行い、料金はシンガポールドルで620ドルでした。内訳は基本透析4時間460ドル、延長1時間分120ドル、付加価値税7%で40ドルとなっていました。今のレートが65円程度ですから日本円で約4万円であり日本と同じくらいの経費が掛かっていました。この経費については健康保険にもよりますが還付してくれる組合も多いようですので、明細書が付いた領収書(医師のサイン)が必要ですから、忘れずに透析開始前に相手に伝えておき確実に手に入るようにしておくと、帰るときになって慌てずにすみます。



 旅行日程を海外透析1回となるよう組みましたので、熊本に到着しそのままいつもの新屋敷クリニックに駆け込むこととなりました。体力や体調にもよりますが、やはりもう少し余裕を持った帰国を考えるべきだと思いました。
海外透析を受けることによりその国の文化や考え方を知ることができ、普通の観光旅行より濃く印象が残っています。普通の人が体験できない経験をさせともらっていると思っています。皆さんも一度チャレンジしてみてはいかがでしょうか。

 
〜終わり〜

 


3回に渡ってお送りした長谷川さんの「海外透析体験記(シンガポール編)」は今回で終了です。
何度も海外に行かれ透析をされている長谷川さん、とても有意義に透析ライフを過されてるようですね!
長谷川さんのお話を聞いていると、なんだか私も色々な所に行ってみたくなっちゃいます♪


新屋敷クリニックには、長谷川さんのように海外や県外で透析をされる方がたくさんいらっしゃいます。
皆さんも、海外・県外透析の先輩方にお話を聞かれたりして、今以上に透析ライフをエンジョイされてはいかがでしょうか? (^∀^*)/
 

新屋敷クリニック  長谷川 法道様(65歳)
 
私がお世話になった病院はシンガポールの繁華街オーチャードロードから100メートルほど入った丘の上にある「マウント エリザベス ホスピタル」でした。大きな総合病院で10階以上あったと思います。午前7時ごろ娘とともに病院に到着し、エレベーターで9階まで上がり「アジア リナル ケア」という施設で透析を受けました。



toseki.JPG

ドアを開けて入るとスタッフが迎えてくれました。名前を言うとわかっているといった感じで早速書類に必要事項を記入し始めました。スタッフは中国系の女性が多く、日本人にはなじみやすく感じました。

主に部屋はこじんまりしており透析用のベッドと椅子が
10台並べてありました。私は入り口近くの体重計で計測後、すぐ隣のベッドに案内され透析の準備が始まりました。ベッドの右側に機械があり、私は左手にシャントがあるのでチューブが体の上を横断してしまいました。彼らはそんなことにはあまり気にならないようです。針は金属針で蝶々に似たやつでした。無事準備が整い透析開始です。 



しばらくすると地元の人達が透析に訪れだしました。
ほとんどが高齢の人たちです。中には二人の女性に支えられてやってきた金持ち風おじいちゃんもいました。家族の人が付き添いで来ている人が多く、狭い部屋に人がいっぱいという状態に一時はなってしまいました。

テレビはつけてもらいましたが言葉がわからず眺めているだけです。日本と同じように時々血圧のチェックがあり、様子を見に来てくれました。スタッフの中にこの前日本に行ったというので、目的は何かと聞くと人気アイドルのコンサートを見に行ったというのです。SMAPや私が名前を知らないアイドルのことも知っており、アジアにおける日本の音楽、歌、踊りはたいしたも
toseki02.JPG
のだ
と実感しました。






透析機械とベッドに横たわる私 
パジャマに着替えず普通の衣服で透析を受ける






 
〜つづく〜
 
続きをお楽しみに〜☆ (^■^)/

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   ≪新屋敷クリニック  長谷川 法道様(60歳)≫

  私は平成17年3月より血液透析を開始し、ちょうど7年が経過しました。
透析をはじめて今日までトラブルはなく順調に社会生活を営んでいます。これは池崎先生をはじめ透析室に関わるスタッフの方々のおかげであり、感謝に耐えません。週3回の夜間透析のため5時間の拘束はありますが、健常者とほぼ同じ生活が出来ており、透析に入る前の苦しさと比べるとまさに天国と思えるほどです。仕事はもちろん旅行やゴルフ、少しであれば宴会の酒飲み等参加しながら生活しています。
今回はスタッフの方からの進めもあり、海外旅行で体験した外国での透析について皆さんに知っていただきたく思い駄文を綴る次第です。



 
 外国での透析は平成18年から毎年経験しておりサンフランシスコ、パリ、ローマ、シンガポールと今年を入れて4回行いました。この中で一番最近のシンガポールについて話をしたいと思います。
シンガポールは小さな国で対馬の広さ(約700km2)に大阪市と名古屋市を加えた人口(約480万人)があると言うと感じがつかめるでしょうか。ここに中国系、マレー系、インド系、ユーラシア系の民族が生活しています。こんな国の透析体験について話を進めます。


 
 
 まず、透析が出来る病院を探す必要があるのですが、今回は娘がシンガポールに在住していたため、娘に探してもらいました。娘はインターネットや電話帳で調べ受け入れ可能な施設を探したようです。おまけに狭い国なので実際にその施設を下見したようです。今までは透析旅行を企画している旅行会社に探してもらいましたが、実際に行ってみると郊外にあって宿泊しているホテルから遠く予想以上に時間が必要だったりしました。場所もわかりにくく日本のように大きな看板が出ていない施設もあり探すのが大変でした。道を聞くにしても言葉が通じない状況では不安が増すばかりで心細い限りです。日本を出る前にしっかりとアクセスを旅行会社に確認することが大切だと思います。はっきりした地図やアクセス方法を示さない旅行会社とは取引しないほうがよいと思います。
                                                                  
                                                                                                                   〜つづく〜
                   hospital.jpg
                        病院の概観と看板
                  オチャードロードから緩やかな坂道を登る

 

続きをお楽しみに〜☆ (*^-^)/



 今回は、Yさんにインタビューをしました。 

      Q1.当院に通院されて何年ですか?
               8ヶ月

      Q2.大津第一クリニックのイメージは?
             とてもいいです。スタッフも「優しくて、親切」 本当にうれしいし、大好きです。

     Q3.透析を経験してどうでしょうか?
               透析をしてよかったと思うし、助かっている。
       以前までは、透析後きついのを我慢  し ていた。
       血圧が低くて家に帰っても、何もしたくなかった。
       血圧が低いのをナースに相談したら、アドバイスしてもらって今は食欲もでてきた
       し、血圧も安定してきて元気になった。
       相談してよかったと思った。これからも、何かあったら相談したいと思う。

  Q4.Yさんの趣味を教えてください
      ・読書が好きです。(読むことがすき)
       最近読書はしなくなったが、新聞は毎日読んでいます。
      ・編み物が大好きです。
       100枚ぐらい編んで子供や孫、嫁などにやったりしていた。
       透析を始めてからは、編み物もきついのでしていない。
       また、出来る時に編み物をしたい。

  Q5.大津第一クリニックにメッセージをどうぞ!!
      完璧なんで、満足をしています
      嫌々ながらじゃなくて、みんなに会うのが楽しみです。
      来るのが楽しみになっています。
      これからも宜しくお願いします。

                                                                                                   △トップに戻る

私の透析ライフ

2009年02月 3日
 
ootu3.jpgのサムネール画像のサムネール画像 たまたまここのHPを目に留める機会があり、その話をした流れで投稿する機会をいただきました(^-^;)

私自身はまだ、透析を始めて3年ちょっとの新米です。意外だなと感じていたのは、いろんな患者さんの手記など、見ていると透析導入前と直後に悩まれた方が多いのだなと思ったことですね
   
普通は、透析をしなければいけないという状況は、かなりショックを受けるものだなと・・・・

私はあっさりと受け入れてしまったので、親はあきれていましたね(;一_一)

透析を続けるうえでやはり、困ったなと思ったのは食事ですね。食べ歩きも好きでしたし、栄養学をかじっていたこともあり、透析食の載った本を見ていても、実行するには無理があるし、必要な栄養バランスが偏ったり、それを補おうとすると、摂らない方がいい栄養がオーバーしてしまうジレンマがおきてしまう(-“-)

そんな中で、食事から栄養素をとることはあきらめました(^◇^)現在では、六大栄養素の内、三栄養素と細胞活性のためのサプリメントを摂っています。体調も安定し、転院時に服用していた7種類の薬も今では2種類に減りました。特に血圧降下剤を飲まなくてよくなったのが一番うれしいですね(^=^)そうすることで、食事は最低限のバランスとタンパク質、塩分の量だけを気にすれば、透析食に縛られない生活を送っています(^0^)/

私自身は移植を希望していません。なので、この先10年20年とこの体と付き合っていく為には、現在の体調をキープし続けるのに、私にとってサプリメントは欠かせないものです。ちゃんとした知識と情報があれば、からだにいいものです。健康維持のために一考されるのもいいかもしれないですね。

最後に、大津第一クリニックに通えて幸せにかんじております(*^-^*)ネットを覗いてみると結構とんでもない病院があるなか、最初にこちらにめぐり合えたのはとても幸福なことだと思っています。

先生はやさしいですし、スタッフさんはよく気が利くし、年下なのにタメ口をきくフレンドリーな技師さんはいるし・・・
これからも長い付き合いになると思いますのでよろしくお願いいたします (^◇^)

                                                                                                     △トップへ戻る

穿刺に対する"思い"

2009年02月 3日
ootu2.jpgのサムネール画像 透析が開始されたころは、人工腎臓による透析治療は延命が目的でした。

しかし、医学の進歩により、透析治療は単なる延命のみならず、社会復帰を目的として社会に十分貢献できる治療法に変わってきました。
そんな中で、私も「順調」に闘病生活を送ることができました。

もちろん、私が「生」を支えることができたのは、法による医療と福祉の保障と多くの方々の援助があったからです。個人的には、必ずしも自己管理ができる「良い患者」ではありませんでしたが、先生やスタッフのみなさんのおかげで、23年間生きることができました。
しかし、身体に障害が出てくると、いよいよいけません。先生や管理栄養士さんの「見捨てない」指導のお陰で、最近は、自分で食事をつくりながら、少しは食事の管理ができるようになりつつあります。

そんな中で変わらないのが、穿刺のときの痛みです。確かに「ユーパッチ」などの鎮痛剤を使うようになって、ずいぶん痛みが緩和されましたが、それでも「新鮮な痛み」を感じるときがあります。

  また、働いているときは、鎮痛剤を貼るのを良く忘れました。仕事を終え病院に駆けつけ、着替えているときにそれに気が付いたときは、もう「絶望感」が襲ってきます。気を取り直して、覚悟を決めます。穿刺したときの「新鮮な痛み」に耐えます。そんなことがあると、しばらくは貼ることを忘れませんが、また忙しさの中で忘れます・・・。

痛みは個人差が大きいと聞きますので、「絶望感」などを感じたことがない人もいるでしょう。そんな人は幸せですね。私は穿刺が済むと、透析が半分は終わった感じになります。
また、スタッフが悪いのではありませんが、「相性」というのもあるのでしょうかね。

いよいよ穿刺というとき、こちらの覚悟ができる前に、穿刺が終わってしまう場合があります。フェイントみたいなもので、痛みがなくて拍子抜けすることもあります。その逆に、突然痛みが襲ってくることもあります。

 一方、穿刺に慎重なスタッフもいます。覚悟を決めて、「いよいよ来るかな」と待っていても、なかなか来ない時があります。そして、ちょっと気を抜いたときに来たりします。息を合わせるというか、なかなかタイミングのとりかたが難しい場合もあります。

 「痛いかもしれない」と思っていた方が、同じ痛さでも我慢しやすいものです。「痛くないかも」などと思っていて痛かったりすると、その痛みは倍増されます。
また、タイミングが良いというか、相性が良いというか、そんな場合は、痛くても「こんなものだ」と納得?できます

 スタッフも、穿刺には気を使っておられることと思います。こちらも、「痛くても表情に出したらいかん」と思いつつ、つい出てしまうことがあります。そんなとき、「すみません」と言われると、こちらも「すみません」と思ってしまいます。

 また、穿刺にデビューしたばかりのスタッフの場合も、患者さんには微妙な心理がはたらきます。正直に言って「大丈夫かな」という印象ですね。

 そんなとき、先輩のスタッフが付いて指導している姿をみると、すこしホッとしますし、うまく穿刺ができれば信頼感にもつながります。新人さんの成長に期待しつつ、あせらず見守りたいものだと思います。

 とにかく、シャントが太い人、細いひと、状態がいい人、トラブルをかかえている人・・によっても、穿刺に対する受けとめ方が微妙に違ってくると思います。このように、穿刺には患者の微妙な心理がはたらくようです。
あえて誤解を恐れないで言えば、「たかが穿刺、されど穿刺」・・・といったところでしょうか。

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透析20年を振り返って

2009年02月 3日
この度、腎友会の20年の賞を頂き感謝とお礼の気持ちで、これまでの人生の経過を述べさせて頂きます。 
私は昭和62年の1月なかばに病気になり、日赤に入院してシャントを作りました。そういう中でその時は透析する気になれず、無理やり自宅に帰りました。その時の主治医から「貴男はこのまま退院すれば、一月ももたない」と言われても「はい、わかりました」と言っただけでした。

その当時は我が家と家族と家畜が何よりの楽しみでした。妻から「病院に行ってください!」と涙ながらに言われた事を今も思い浮べ、わがままな自分であったと思います。その後、日赤に定期的に通院し、農業をする喜びを妻と共にかみしめておりました。

その年の7月頃から だんだん歩けない状態になり、主治医から言われた食事制限は気をつけながらも、不安な気持ちになりました。知人の紹介で透析をされている方の体験を聞きながら、もう一度田畑や牧場・山林に行けるならばという気持ちになり、これまでの人の話も聞けず、わがままだった自分を反省しました。

8月遂に病院に来るよう言われ、その時はもう舌がじんじんして感覚がありませんでした。先生やスタッフの方々が迎えに来られ、「だいぶ 悪いなあ」と言われた事は覚えています。4時間の透析後、妻の「もう終わったよー」の声で目を覚ますと、自分の体ではないような感覚でした。翌朝のご飯の美味しさ、少しのワカメの美味しさを一生忘れる事は出来ません。            

透析を3〜4回するうちに少しずつ元気も出て来ました。先生にも「もう十年は生きさせてください」とお願いしながら、先生やスタッフの皆さんの言葉を自分なりに守ろうと思い、9月には退院になりました。透析をよく知らない人からの、いやな言葉も聞こえて来ましたが、私は逆にそれを力にして働く喜びを取り戻しました。家族みんなからの援助もあり、透析を辛いと思うことはありません。

今は、黒髪内科(今の熊本第一クリニック)から大津第一クリニックに移り透析をしています。まだまだご迷惑を掛けながらですが、20年間の透析生活の中に、唯々健康で元気でありたいと思う一心であります。

下村先生はじめ皆様の教えを守りながらいけば、これからの人生も幸せでいけると思います。今後とも宜しくお願い致します。最後に妻に対して「本当にありがとう」という気持ちでいっぱいです。

現在、5ヘクタールの田と30頭の牛を、妻と2人で営んでおります。

                           (大津第一クリニック 高木照一様)


私の透析生活20年

2009年02月 3日
 44才の誕生日の2日後に透析が始まりました。そして20年という長き生命を透析医療によって与えていただきました。当時、私は「明日」という日を待てぬと言うくらい、暗く、不安の中にいました。なぜなら、病いはいつもいつも死へ近づく病状でした。いよいよ頭の中がグチヤ々になり、私はどうなっているのか、ボーッと虚ろな眠りの中にいる時、遠くで「今日から、透析にはいりますよー。いいですねー。」と声が聞こえ、私は「はーい」と答えました。

でも、この先私はどうなるのだろう、1日おきの透析を忘れやしないか、長い間にヤケをおこすのではないか、他の病院はどうなるの?・・・次々と新たな不安が湧くのでした。

しかし、透析を重ねる毎に、体調は上向きになり、案外自由な身体を感じはじめます。「貴女は、週3回排尿の為だけに病院へ来るのです。病人ではありません」と田尻宗誠先生に言われ、「そうなんだ!私は普通に生きれるのだ!」単純に、素直に、すんなり透析医療を受け入れられました。 
ootu1.jpgのサムネール画像勇気が湧いてきて、根っから遊び好きな私は、まず旅行を体験します。1泊、次は2泊3日、次はもっともっとという具合に、病み付きになってしまいました。また、運動に水泳を、手根菅症を防ぐためにピアノをと、夢中にやっている内に、20年の歳月はアッという間に過ぎました。その間幸いなことに大病もなく、ここまで来ることが出来ましょたが、それは一重に先生方をはじめスタッフの、誠心誠意の見守りがあったからこそです。

透析をうけるようになっていつも思うことがあります。それは、日本が平和であり、安定しているからこそで、医療界のめざましい発展があればこそです。多くの皆様に助けられて、ここまで生きてこれました。日々感謝です。
20年の長き透析生活は、私の性格をも除々に変えてくれました。せっかちなところはのんびりと、激しいところは穏やかに、心に重荷を感じても「まーいいか、透析が終わってから考えよう」と、間を置くことも覚えました。これは家族にとっては不平ですが、我、感せずです。
この先、神のみぞ知るところですが、今までのようにマイペースで歩むだけでしょう。

ただひとつ、私は小さな挑戦を持っています。それは60歳後半、70歳と今までは手根菅症を防ぐ為と思って来ましたが、これからはボケ防止に?、自分を楽しむ為にピアノを弾き続けることです。老婆がピアノに向かい、ゆっくりポロン、ポロンと音を出している姿は、なんと素敵だろうと思うのです。壊れたレコードのように、繰返し繰返し好きな曲を弾く。そんな老いた自分を描き、フフフ・ ・ ・ サアーレッスン!レッスン! 
                                                                                           (透析患者:S・T様)
先日 仁誠会では、毎年恒例の透析患者様対象の勉強会を実施いたしました。熊本中央病院 整形外科医長の阿部靖之先生をお招きし、「膝と股関節の治療」 の講演をしていただきました。その勉強会に参加されました、ながみねクリニックの坂口静様が感想文を書いて頂きましたので、そのご紹介をさせていただきます。

nagamine1[1].jpg 「膝の痛み」  そう聞けば、大概の人は必ずと言って良いほど、それぞれもっている病です。なのに膝の痛みは、高齢者になれば、当たり前のことと思いがちの様です。一番多い病なのに、何も判らない事が多く、湿布を貼る、自己判断の世界です。

今日仁誠会の勉強会があり、「今まさに旬」の先生をお招きして「膝と股関節の治療について」という大切な話を聞きました。沢山の透析患者の方々が参加されました。私の希望は、本当に切実に困っている透析患者様の方に是非聞いて欲しいと思っておりました。
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講師の先生は、熊本中央病院整形外科医長の阿部靖之先生です。実は、私は阿部先生の整形外科の患者です。約5年前股関節変形症の手術をしていただきました。現在、障害のない自由な生活を送っています。手術前と手術後を比べると、別世界で新しい生活が出来ている事を幸せに思っております。
 
手術前は、足の痛みと戦いながら、階段をトントンと上がっていく人をとてもうらやましく思ったり、横断歩道の信号が短いのを腹立たしく思い、警察に「信号機の時間を、もっと長く出来ないのか?」等、文句の電話をしたりしていた頃を、今はとても懐かしく思い出しております。
膝も変わりません。身体に障害を持ち不自由な生活を送ることは大変な事です。

阿部先生のお話の様に、早いうちの治療なら、薬や訓練で治るそうです。一日も早く通常の生活を送れるよう、身近な方々の話に耳をかしてほしいと思っています。

私も透析をしていなかったら、阿部先生に遭う道筋をつけて下さる方も無かったでしょう。透析患者として仁誠会と縁が出来たおかげで、道筋を見つけてくださった大津第一クリニックの院長下村先生に改めて心よりお礼を申し上げます。
 
    皆さん歩行に自信を!!我に自信を!!健康で長生きしたいものです。
                                  ながみねクリニック 坂口 静様より

脳年齢 川柳ベスト

2009年01月31日
            患者さんがユニークな川柳を作ってくださいましたのでご紹介します! 

   ・この俺に 温かいのは 便座だけ
   ・アレどこだ? アレをコレする あのアレだ!!
   ・忘れぬよう メモした紙を また捜す
   ・イナバウアー 一発芸で 腰痛め
   ・たまったなあ お金じゃなくて 体脂肪
            亭主がせっせと働く間に 女房はコッコッと離婚の準備
            有効期限の過ぎた亭主と賞味期限の切れた女房
            花の咲かない枯ススキ
            二人ずれ
                                                                                    ペンネーム  パピリオ
 ★発明好きでユニークな男性患者さんです。
  これからもたくさんの川柳を作ってスタッフを楽しませてほしいものです。
  第二弾へ続きます!お楽しみに・・・
 
 
仁誠会では、年に1回、透析患者様向けの勉強会を開催しています。 
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透析療法の向上により透析患者様の長期生存が可能になりましたが、一方長期透析に伴う関節合併症は透析患者様の日常生活に大きな問題となっています。

特に関節障害は痛みや動く範囲が制限され患者様の日常生活を著しく損なうものです。

そこで、今年の勉強会は熊本中央病院整形外科医長の阿部靖之先生をお招きして、『膝と股関節の治療』の講演をしていただきました。

今回、この勉強会に参加して頂いたN様にインタビューをさせていただきました。

•1 今回の勉強会への参加のきっかけは何でしたか。
      私は30年ほどリウマチがあります。右膝が痛く、時々ロキソニン(痛みをやわらげる薬)  
     を飲みます。今回、どうしても『膝と股関節の治療』の勉強会を聞きに行きたくて、姉と
      一 緒に行きました。

•2 実際に参加して、いかがでしたか。
     とてもよかったです。私の担当が今回の講師の阿部先生なので、心強かったです。ますま 
  す先生のファンになりました(笑)

•3 勉強会に参加して、その後の生活は変わりましたか。
  
変わったところは、どんなところでしたか。
     
勉強会に行くまでは、歩くとすぐ腰が痛くなり歩くのが嫌でした。勉強会に行って、足腰に
  は 運動が良いといわれ、実際に病院スタッフがモデルになり運動の仕方を参加者の方に
  わかりやすく教えていました。
    私はそれを見て、『自分も今日からしよう!』と思い、その夜から運 動をしました。
  毎食後に20回、運動をしています。運動は、イスに腰掛けて腿を意識しながら足を垂直に
  交互に上げます。
    この運動で、今では歩いても腰に痛みがありません!痛かった右膝もあまり痛まなくなり
  ました。運動が日課になり毎日が楽しいです。

•4 今後、どんな勉強会に参加してみたいですか。
  どんな勉強でも、行ける時は行きたいです。熊本第一クリニック主催の患者様向けの
  勉強会もよく行っています。自分の体だから、自分がよく知っておきたいんです。
  だから、透析の機械 など解らない事はスタッフにききます。
    今回、勉強会を企画して頂き、ありがとうございました。

  
勉強会に『本当に参加してよかった』と、嬉しそうにお話をされるN様がとても印象的でした。これからも患者様の透析生活に少しでもお役にたてるような勉強会の開催、情報を提供していけたらと思います。
                     N様、ありがとうございました!!

                                                                                                    
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透析を導入したのは49歳の春でした。
あれから20年が経ち、振り返るといろいろな事がありました。導入はじめのころは「何かの間違いでは?」と透析を素直に受け入れることが出来ずにとても悲しかった事を覚えています。

また、生活指導も現在に比べて、とてもきびしく体重増加や食事、薬の管理などずいぶん叱られました。自分自身の無知を思い知らされ、注意されないように勉強した事も思い出されます。

当時は「5年生きること」が目標でしたので、必死になっていたようです。      
5年を過ぎた頃から少し自身がついてきたのでしょうか?旅行へ出かけるようになりました。春一番の桜の花を見る為に、毎年、沖縄へ行ったり、大阪、名古屋、北海道へも・・・・今後も楽しんでいきたいと思っています。                                         

この病院を選んで良かった。と思う事はいくつかありますが、一番良かったと思うことは勉強会が多いことです。私は必ず出席する事にしていますが、長く透析をしていくと「雑」になっている所があり、もう一度「原点」に返り、忘れかけていることに気付かされます。

また、体を動かす事も良いことだと思います。私は毎日、ウォーキング40分、ストレッチ20分を続けています。病院行事でもウォーキングがありますので皆様とご一緒したいと思います。

田尻先生との出会いがあって、気持ちが「楽」になってきました。これからもいろいろなことを楽しみながら透析を続けていきたいと思います。   
                                   熊本第一クリニック:丸田孝子様
 

腎臓病、実は、20歳の頃から尿検査で指摘されていたがそのままほったらかし、それがいけなかった。熊大受診と検査入院などを繰り返し、ほぼ10年経ってとうとう透析に入ったのは上の子供の1歳の誕生日の1ヶ月前頃。
導入で約1ヶ月入院して退院したあと、仕事をしながら田尻先生の(当時)黒髪クリニックにお世話になることとなった。最初の3年間くらいは、貧血や頭痛、透析中の気分不良など悩まされたが、その後は身体が馴れたのか透析の時間以外は、健常者と何ら変わりなく生活することができた。

平成11年5月に新屋敷クリニックが開院となり、職場に近かったこともあり仁誠会グループの新しい病院へ移った。さすがに新しい透析室で照明やベッド間隔などアメニティにも配慮してあり、より快適に治療を受けることができている。
月水金の夜間の透析時間は、やっとクリニックのベッドに横たわったかと思うと同時に早くもリラックスモードに入る。穿刺が済むと直ぐに運ばれてくる温かい食事を頂いたあとは、仕事の疲れをとる安らぎの時間となっている。本当に有り難い。

今回、20年ということで記念品など頂いて恐縮している。自分としては、身体の年は感じつつも透析歴20年という実感はない。だが改めて想い起こすと20年の長さに一寸びっくりするようであり、これまで大きな問題もなく生活できたことに有り難く思う。

w.200[1].jpg お陰で好きなゴルフや1・2杯のビール、長期間の出張など今は公私ともに充実した日々を送らせてもらっている。
これも偏に仁誠会の先生やスタッフの皆様の温かいご指導ご支援があったからこそと改めて感謝申し上げる次第です。 

もう暫くは、今まで通り自然体で身体の管理を怠らず、自分のため、家族のため少しでも社会のお役に立つよう頑張ろうと思う。これからもよろしくお願いします。

                新屋敷クリニック 深夜の男 M・K
 

                                      

透析20年にあたって

2009年01月31日

私、51歳で透析に入り20年たちました。
長いようで、今思えば短く感じます。よくここまできたなぁと思います。

透析に入って、5・6年は透析になれず、よく入退院を繰り返し、シャントトラブルもよくありました。ここまでこられたのも先生方、スタッフの皆様のおかげと、感謝しております。

手根管手術、腰のすべり症、アミロイドによる肩関節炎、股関節症と、
主に整形科によるものが多く、心房細動(心臓)、逆流性食道炎と、
いろいろの合併症と付き合いながら、今日に至っています。

 これからも一日一日を大切に合併症と付き合いながら頑張っていこうと思います。

                 心に太陽を 唇に歌をもて!

               ♪     新屋敷クリニック患者
 尾崎様は小学校の先生をされていて、
特に音楽は聞くのも歌うのも大好きとのことです。
コンサートによく出かけられたそうです。今年の患者様新年会でも数曲披露して頂きました。
 
様 尾崎敏子様
                   
 
                           
                    














  平井久美子さんが ひまわり腎友会新年会で透析歴30年の表彰を受けました! 
hirai[1].jpg 平井久美子さん:仁誠会本部勤務                                                             
  毎週月・水・金の週3回 熊本第一クリニックで透析を
  しています。

★平井さんからのメッセージ
 透析歴30年の大きな節目を迎えました。透析を導入した当時は、透析中に気分が悪くなり、吐いたり色々な症状が出ていました。そして、自分のことを人生の落伍者のように思ってしまい、全ての事に消極的で自信がありませんでした。その一方で、人の痛みが分かるようにもなりました。
 
 導入3年後から仁誠会で働かせて頂くようになり、透析患者だからと言って、特別扱いされるでもなく、皆と一緒に仕事をし、遊びに出かけたりした事で、少しずつ自信を持てるようになりました。                                                          

そして30年経った今、透析患者としては「劣等生」と思っていた自分から、「どうだい!」という気持ちに変わり、何に対しても受入れられる自分がいて、とても穏やかです。
これからは、透析40年の時代と言われるので、私も40年目指して頑張りたい! 

透析導入し始めた方や、これから始める方へのアドバイスを一言 
「常に夢や希望を!ささやかな物でも良いので生き甲斐となる趣味を持つこと!」      

私は、職場の環境が良かったので、働くのが楽しくて生き甲斐になったようです。何回となく入退院生活を余儀なくされましたが、早く職場に復帰したい思いが強く、回復も早かったと思います。
ruru[1].jpgのサムネール画像 それと、何よりも、大好きな大好きな「ルル」(猫なんですが)と一緒に暮らしていることです        

    12月20日 糖尿病教室を実施して、患者様から感想をいただいていますので、
    ここに紹介いたします。
 
tounyou.jpgのサムネール画像

 1. 糖尿病教室の時間
     長い・・・・・・・・・・ 0名
     ちょうど良い・・・11名
     短い・・・・・・・・・・ 0名

 2. 今回の糖尿病教室で一番印象に残ったことは?
     ・ おせち料理の食材のカロリーやリン・カリウム・塩分などわかりやすく説明してあり
      勉強になりました。
      正月は計算しながら上手に食べたいと思います。
     ・ おせちのカロリー(大変役に立ちます。)
     ・ おせち・ケーキのカロリー
     ・ デザートを食べた後、水が欲しくなった。
     ・ 塩分や糖分の多い食品をとり過ぎないこと。栄養士の先生のお話はいつも楽しく
      勉強になります。頭で理解しているつもりでも勉強会に出席するたび反省させられ
      ます。次回の勉強会楽しみにしています。
     ・ 正月料理のリン・カリウムの取り過ぎ要注意。溢水について。カリウム血症。
      塩と水分
     ・ おせちのカロリーや塩分について分かりやすかった。自分は水分の量が多いので
      注意したいと思います。
     ・ 透析の後で疲れてあまり聞いてなかった。スライドは目が不自由だから見えなかっ  
      た。

 3. 体重増加の許容範囲

 4. 自分のHbA1cの値は?(グラフを見てどうでしたか?今後どうしていきたいですか?)
     ・ 上昇傾向。5.2のレベルに下がるように努めたい。
     ・ 勉強会のスタッフの気持ちに感謝しています。努力して少しでも下げていきたいで
      す。
     ・ ヘモグロビンは5.2です。
     ・ 7月や10月のように5.2くらいになったら良いと思います。
     ・ 7.7です。 将来さげたい。
     ・ 今の状態を維持したい。

 5. 今度6回目の糖尿病教室があったら参加したいですか?
     はい・・・・11名
     無回答・・・1名

 6. その他に取り上げて欲しいテーマなど
     ・ 食事について
     ・ 検査表の説明をお願いしたいです。

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