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🛫台湾で神となった亡き父に会う3泊4日間の旅🛬

 髙田鳴海さん(仁誠会クリニック黒髪 維持透析患者)は、三歳の時に父である髙田又男さんを亡くされています。
以下少し概略を説明いたします。「亡くなった父は今台湾で神となって祀られている」1944年台湾が日本の統治時代にバーシー海峡で、米潜水艦に撃沈された旧日本軍の「第38号哨戒艇」の艦長だった。1946年漁師の網に頭がい骨がかかり、手を合わせた。すると大漁となった事から頭がい骨を保安堂で祀っていた。それから20年後沖合で漁をしている人の夢に日本海軍の制服を着た人が「私は38号哨戒艇の艦長で、部下を日本に連れて帰れなかった。だから祀ってほしい。」という内容であった。船を作り手厚く祀った。70年あまり進展がなかったが、5年前に保安堂の関係者がインターネットで記録を見つけて、調べて今回に至った。
護国神社より電話があり、それから台湾の保安堂とのやり取りが始まりました。
テレビでは『台湾で神となったのは熊本出身だった』と髙田鳴海氏の父と紹介がありました。
今回、コロナが落ち着いた令和5年8月に亡き父に会いに台湾の保安堂へ行った時の話です。
台湾 台湾 台湾
旅の様子を伺うと、
『80歳で初めて親父の追悼のため、船から献花した。保安堂の人達が協力してくれた。高雄観光局の人が船を手配してくれ、きちんとした船着き場がないので、3~4人で抱えられ船へおおごつしながら乗せてくれた。献花、お神酒したらホッとした。色んな人が、38号にっぽんかいぐん(髙田氏の父が旧日本海軍38哨戒艇の艦長だったことから)と印刷されたTシャツを着たたくさんの方が空港に出迎えてくれた。ホテルで、テレビ付けたら「Welcome To Mr Takata Narumi」という表示が出たり、日本人作家や漫画家の人が挨拶に来たりして色んな人と交流が出来き、気が張ってきつくなかった。帰ってきてからはどっと疲れたが、行った時の想いが蘇る。あんなにもてなしてもらい、なんとも言えない。生涯で忘れることが出来ない思い出になった。11月の日台交流式典に呼ばれているが、今は今回行った時のことばかりを思い出してありがとうありがとうと思うばかりで、まだ先の事は考えられない』と写真を見せながら話してくれました。
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★台湾での歓迎の様子は『紅毛港保安堂』のFaceBookでも紹介されています★

    こちらを クリック ☞ https://fb.watch/nDg4wOVgth/


~ クリニックのサポートと振り返り ~

 台湾との連絡が一度途絶えましたが、本人がまた話したいと言われクリニックから護国神社へ電話、その後連絡が再開。台湾に行く前には旅のしおりとして栄養科と協力をして、行く前の注意事項や、行ってからの食事や水分摂取について、血圧下降時の対応など事前に家族へも説明を行いました。また海外での透析なので通常の国内の臨時透析と違い、透析の条件は英語でのやり取りになります。今回は院長が現地の方とやり取りをしてもらい、旅行先の台湾でも透析を1回して来られました。手の内出血の部位には軟膏を特別に下さりそれを塗ったら治ったと喜ばれていました。通訳の方もずっと付き添われていたようで、安心して透析をする事ができた様です。
*旅行先の写真には髙田氏の膝の上に亡き妻の写真があり、二人のその笑顔は3年前のクリニックの秋祭りで保安堂の再現を見に来られた夫婦の笑顔の写真でした。

~ まとめ ~

生きがいをサポートした結果、
海を越え実現した父への献花や追悼、髙田氏の帰ってきた時の穏やかな表情が全てを物語っていました。
髙田氏の思いに黒髪スタッフ全員で関わったこと、本当に良かったです。これからも一人一人の生きる楽しみや生きがいに、寄り添った関わりを大事にしていきます。
今回の髙田氏の海外での透析が、別の患者さんの行くきっかけになればと思います。最後に、クリニックから護国神社に電話した際、『クリニックの方はここまでされるんですね』とビックリされました。私達は患者さんの為に全力でサポートします。最後に髙田氏の台湾への旅が今後も続くことを仁誠会クリニック黒髪スタッフ一同願い、サポートを続けていきます。いつか私達も一緒に行けたらいいな~

-仁誠会クリニック黒髪 看護部 看護師-